当時はどノーマークだったが、昨今は沖縄へ移住することばかり妄想していることもあり、唐突に思い出して見た映画。はっきり言って残念極まりない作品である。
血の繋がらない妹が長澤まさみに成長した。さぁどうする
高校生に成長した妹・カオルとの5年ぶりの生活。島の相撲大会ではいつも一番だったようなやんちゃなクソガキが、長澤まさみに变化して現れるのだから誰だって驚く。しかも妹は、「にぃに大好き!兄としてじゃなく男としてね 😳 」という本音を隠す様子がない。
私は女兄弟がいるせいか、この手の展開は正直気持ち悪いと思ってしまうのだが、二人は両親の再婚による義兄弟だから血の繋がりはない。だったら話は別だ。血の繋がりのない妹・長澤まさみとの二人暮らし。心ときめかないはずがない。
不健全な展開を妄想してしまった私を、妻夫木聡が反則的な爽やかさで正してくれた。洋太郎の使命は、「どんなことがあってもカオルを守ること」。大好きな亡き母との約束を、責任感の強い彼は一秒たりとも忘れない。兄として、父親代わりとして、カオルの幸せのためだけに毎日を頑張る。
泣けるどころか呆れてものが言えないシチュエーションの数々
同映画のタイトルであり、主題歌でもある『涙そうそう』は、森山良子が亡き兄を思って書いた詩であることは有名だ。だから最終的に洋太郎が亡くなるのは想定内なのだが、「泣かしてやろう」という魂胆がミエミエすぎて呆れてしまう。
最もシラけたのは、洋太郎の様態が急変したところで響き渡る「にぃに〜〜〜!」。スローモーションで廊下の画がズームアウトしていくのを観て、「ま、まさかここで叫ばないよな?叫ばないよな?」と心配していたら案の定やりやがった。
台風のなか駆けつけ、ドンピシャすぎるタイミングでカオルを救った洋太郎の「カオルが泣いているような気がして…」も、既視感があってなかなかチープ。幼少の頃の思い出が伏線になっているのだが、ここまで典型的だと、「何があってもカオルを守る」という行動原理がウザくてたまらない。
エンディングは、生前の兄からの贈り物が届くという、既視感フルコースのメインディッシュだったわけだが、こんなもんで泣くのは涙腺の緩んだ年寄りだけだと断言しておこう。つまり私だ。
…いや、家族としても異性としても、この世で一番好きだった人が最も想ってくれていたのも私という、ストレートな感動を想像してしまった。たぶん長澤まさみが可愛いせい。
洋太郎が死なずに年を取っていたら、彼は自分の人生をどう振り返ったのか?
「家族のために自分の人生を捧げる」という一点に注目すると、どうしても大好きな映画『国際市場で逢いましょう』と比較してしまう。
ファン・ジョンミン演じる主人公ドクスは、賑やかな息子夫婦や孫たちの声を聞きながら、亡き父の遺影にこう語りかける。
「父さん、父さんの言うとおり、僕は家族を守ったよ」
「よく頑張っただろ?」
「でも父さん…これまで本っ当に辛かったんだよ……!」
ここで涙腺崩壊なのだが、洋太郎もドクスのように生きながらえたら、どう人生を振り返ったのだろうか。
カオルの成人式を見守り、夢だった食堂も再オープンさせ、ひょっとしたら恵子とも復縁し……。カオルは大人になっても、自分の家庭を持っても、「にぃに、今でも世界一愛してるよ!」なんて言うに違いない。
父親代わりとしての使命を立派に果たした洋太郎は、ドクスのように親に愚痴りたくなるのか、それとも満面の笑みで、「俺もサ、カオル!」と笑い頭をなでるのか。もしもマルチエンディングで後者のシーンを見せられたら、こんなざーとらしいエンディングよりも5倍は泣けたのに。
全体を通して
以上、豪華役者陣と大好きな沖縄の風景がなければ「単調な安物ドラマ」と言わざるを得ないが、物語のキーアイテムである「古いアルバム」がエンディングに使われたのは、夏川りみの素晴らしい歌声とBEGINの感動的な旋律も手伝ってうるっときた。
そしてエンドロールで出演した役者陣を眺めながら思い出すのである。沖縄ではよくある詐欺なのかもしれないが、船越英一郎サイテー。と。